ここからみるもの

わたしは誰でもない。わたしの考えは感情はわたしのものではない。
破壊されていく。崩壊する。もしかしたらそれは緻密な分解かもしれない。

いつかの「下書き」。なんのことだ?いつかのわたし。
分解されたらそのままかもしれないしまったく別のカタチに組み直されるかもしれない。

ピリオ 個人

君がやることはすべて、 君にしか出来ないことである。

そのことに自覚的になることが、 個人というものだ。

橘川幸夫の毎日配信メルマガ「ピリオ」
http://bit.ly/LhpqAJ

kazesaeki:

この写真は、小説家の丸山健二さんが、自宅の庭の写真を撮ったもの。このたび、次号のロングインタビューのため、信濃大町の丸山さんの自宅に行った。丸山さんは、20年近く、小説を書くのと同じ情熱を庭作りに注ぎ込んでいて、素晴らしい庭をつくりあげている。その花々は、今では貴重な野生の薔薇をはじめ、野生種と園芸種なのだが、その調和が素晴らしい。薔薇は病気にかかりやすいとか虫がつきやすいと思われているが、それは人間が品種改良をし続けて薔薇であり、野生の薔薇は、そうではない。松もそうだけど、松食い虫に簡単にやられてしまうのは、人間が海岸線などに植林した松で、もともとの松は、峻険な山々の崖っぷちなど厳しい環境で生きていた。それらの野生の松は強い生命力があり、松食い虫にやられにくい。 薔薇も松も人間もそうだけれど、過保護の状態で、生命力を低下させ、病気にかかりやすく、虫もつきやすくなっているだけのこと。 ならば野生の薔薇は、放っておいても簡単に育てることができるのではないかと丸山さんに問うと、それは野生環境の中での話で、庭というのは既に人工的環境になってしまっているので、その中で野生状態のように放ったらかしにしていたら、育たないそうだ。 人工的な環境で、品種改良をした薔薇を育てるためには様々なマニュアルがあるが、野生の薔薇を育てるマニュアルはない。人間もまた、人工的環境の中で品種改良されたような官僚的人間を作るマニュアルはあるが、人工的な環境の中で野生状態を保ちながら健やかに育てることは簡単ではない。しかし、今もっとも大事なことは、そういうことだと思う。なぜなら、本来の生命力は野生に根ざしたものであり、その野生の感覚を取り戻さないかぎり、生命の歓びもわからないから。 人工的環境の中で、いかに野生の感覚を取り戻していくか。それこそが、私達にとって、株価やデフレ対策より重要な課題だと思う。子供達の未来のことを考えると、なおさらだ。株価があがったり、物価があがったところで、けっきょく官僚的な壁の中でストレスをためて、時々憂さばらしをするだけで、生きる歓びとか手応えをまったく感じられない人生を通過して、我々は何のために生きているのかという問題は、ずっと棚上げになるだけなのだから。  復刊2号、オンラインで販売を始めました。 http://www.kazetabi.jp/

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この写真は、小説家の丸山健二さんが、自宅の庭の写真を撮ったもの。このたび、次号のロングインタビューのため、信濃大町の丸山さんの自宅に行った。丸山さんは、20年近く、小説を書くのと同じ情熱を庭作りに注ぎ込んでいて、素晴らしい庭をつくりあげている。その花々は、今では貴重な野生の薔薇をはじめ、野生種と園芸種なのだが、その調和が素晴らしい。薔薇は病気にかかりやすいとか虫がつきやすいと思われているが、それは人間が品種改良をし続けて薔薇であり、野生の薔薇は、そうではない。松もそうだけど、松食い虫に簡単にやられてしまうのは、人間が海岸線などに植林した松で、もともとの松は、峻険な山々の崖っぷちなど厳しい環境で生きていた。それらの野生の松は強い生命力があり、松食い虫にやられにくい。
 薔薇も松も人間もそうだけれど、過保護の状態で、生命力を低下させ、病気にかかりやすく、虫もつきやすくなっているだけのこと。
 ならば野生の薔薇は、放っておいても簡単に育てることができるのではないかと丸山さんに問うと、それは野生環境の中での話で、庭というのは既に人工的環境になってしまっているので、その中で野生状態のように放ったらかしにしていたら、育たないそうだ。
 人工的な環境で、品種改良をした薔薇を育てるためには様々なマニュアルがあるが、野生の薔薇を育てるマニュアルはない。人間もまた、人工的環境の中で品種改良されたような官僚的人間を作るマニュアルはあるが、人工的な環境の中で野生状態を保ちながら健やかに育てることは簡単ではない。しかし、今もっとも大事なことは、そういうことだと思う。なぜなら、本来の生命力は野生に根ざしたものであり、その野生の感覚を取り戻さないかぎり、生命の歓びもわからないから。
 人工的環境の中で、いかに野生の感覚を取り戻していくか。それこそが、私達にとって、株価やデフレ対策より重要な課題だと思う。子供達の未来のことを考えると、なおさらだ。株価があがったり、物価があがったところで、けっきょく官僚的な壁の中でストレスをためて、時々憂さばらしをするだけで、生きる歓びとか手応えをまったく感じられない人生を通過して、我々は何のために生きているのかという問題は、ずっと棚上げになるだけなのだから。
 
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 この写真は、風の旅人 第46号 コドモノクニで紹介する前川貴行さんの写真。前川さんは、世界中の様々な地域で動物写真を撮っているが、今回の特集では、日本の森の中に生きる動物に焦点をあてて紹介します。日本の野生動物は、日本の自然の生態系の中に適応して長い間生きてきたのだけど、この100年で、日本の自然は大きく変化してしまった。人間は自分の都合の良いように環境を変えてきたのだけど、それが、自分の子供達(未来)に対してどんな悪影響を与えるか、まったく考えてこなかったと思う。そして、自分に都合の良いように変えた環境は、結果として、自分にとって本当に快適なものになっているのだろうか。仕事のストレス発散なのか得意先の接待なのかしらないが、週末に早起きしてでかける郊外のゴルフ場で行うゴルフは、自然を大規模に破壊して、しかも高額なお金を使うことになるのだが、そんなに人生の歓びを与えてくれるものなのだろうか。家に閉じこもって行う高価なゲームにしても、支出にみあった歓びを与えてくれるものなのだろうか。
 環境が損なわれたことで、人生の歓びとか楽しさというものの在り方が歪んでしまい、そのことがさらに環境を歪ませていく悪循環に陥っているように思う。

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 この写真は、風の旅人 第46号 コドモノクニで紹介する前川貴行さんの写真。前川さんは、世界中の様々な地域で動物写真を撮っているが、今回の特集では、日本の森の中に生きる動物に焦点をあてて紹介します。日本の野生動物は、日本の自然の生態系の中に適応して長い間生きてきたのだけど、この100年で、日本の自然は大きく変化してしまった。人間は自分の都合の良いように環境を変えてきたのだけど、それが、自分の子供達(未来)に対してどんな悪影響を与えるか、まったく考えてこなかったと思う。そして、自分に都合の良いように変えた環境は、結果として、自分にとって本当に快適なものになっているのだろうか。仕事のストレス発散なのか得意先の接待なのかしらないが、週末に早起きしてでかける郊外のゴルフ場で行うゴルフは、自然を大規模に破壊して、しかも高額なお金を使うことになるのだが、そんなに人生の歓びを与えてくれるものなのだろうか。家に閉じこもって行う高価なゲームにしても、支出にみあった歓びを与えてくれるものなのだろうか。

 環境が損なわれたことで、人生の歓びとか楽しさというものの在り方が歪んでしまい、そのことがさらに環境を歪ませていく悪循環に陥っているように思う。

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風の旅人 復刊第2号の表紙のデザインができました。復刊第1号とは、かなり趣が異なります。
 復刊2号、オンラインで販売を始めました。
http://www.kazetabi.jp/

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風の旅人 復刊第2号の表紙のデザインができました。復刊第1号とは、かなり趣が異なります。

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復刊2号、オンラインで販売を始めました。http://www.kazetabi.jp/ この写真は、風の旅人の復刊2号の「コドモノクニ」で紹介するマスノマサヒロさんの写真。福島の子供達 福島の子供達について、私は、語れるような言葉を持たないけれど、この子達が、未来を作っていく一人ひとりになるということは、間違いない。20年後には、社会の一線で働いているわけで、家庭も持っているかもしれない。その時、日本は、超高齢化で二人に一人が65歳以上になるという、若者にとってはとても厳しい社会状況になっている。大げさではなく、老人(私もその一人になっている)の心構え次第で、日本が破滅的な状況になっている可能性だってある。少なくとも、今のように、自分の健康がちょっとでも悪いと朝早くから病院に行列を作っているような老人(全員とは言わないが)が,国民の二人に一人になっていたりすると、財政も何もかも、相当酷いことになっているだろう。 福島の子供達のことにかぎらず、子供達のことを云々と言う前に、これから20年、30年のあいだ、大人の心構えがどうなのかが、厳しく問われることは間違いないだろう。 この福島の子供達の視線の前で、自分が恥ずかしくない大人になっているか、恥ずかしくない老人になっていけるのか、自分自身に真剣に問わなければならないと思う。 これほどガタガタになっているにもかかわらず、日本には技術があるから大丈夫だとか、日本はまだ先進国の優等生であると思っている人が多いが、現在の日本の人口比率が、若者が優勢的であるならば、現在のこの状況でも未来は大いに可能性があるが、そうではなく、ほんの数年のうちに、働かない人ばかりの国になってしまうという現実から目を背けるわけにはいかない。定年が60歳から65歳に引き上げられたものの、企業に勤めて定年を迎え、その後は年金で暮らすという戦後社会の人生のモデルケースが崩れつつあることも間違いない。 定年のあるサラリーマンになるということじたいが、少し前までは安定した生き方であったけれど、それがとても不安定な生き方になり、それこそ手に職をつけて、死ぬまで働けるような生き方を探る若者が、少しずつ増えていくのだろうと思う。

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復刊2号、オンラインで販売を始めました。
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 この写真は、風の旅人の復刊2号の「コドモノクニ」で紹介するマスノマサヒロさんの写真。福島の子供達
 福島の子供達について、私は、語れるような言葉を持たないけれど、この子達が、未来を作っていく一人ひとりになるということは、間違いない。20年後には、社会の一線で働いているわけで、家庭も持っているかもしれない。その時、日本は、超高齢化で二人に一人が65歳以上になるという、若者にとってはとても厳しい社会状況になっている。大げさではなく、老人(私もその一人になっている)の心構え次第で、日本が破滅的な状況になっている可能性だってある。少なくとも、今のように、自分の健康がちょっとでも悪いと朝早くから病院に行列を作っているような老人(全員とは言わないが)が,国民の二人に一人になっていたりすると、財政も何もかも、相当酷いことになっているだろう。
 福島の子供達のことにかぎらず、子供達のことを云々と言う前に、これから20年、30年のあいだ、大人の心構えがどうなのかが、厳しく問われることは間違いないだろう。
 この福島の子供達の視線の前で、自分が恥ずかしくない大人になっているか、恥ずかしくない老人になっていけるのか、自分自身に真剣に問わなければならないと思う。
 これほどガタガタになっているにもかかわらず、日本には技術があるから大丈夫だとか、日本はまだ先進国の優等生であると思っている人が多いが、現在の日本の人口比率が、若者が優勢的であるならば、現在のこの状況でも未来は大いに可能性があるが、そうではなく、ほんの数年のうちに、働かない人ばかりの国になってしまうという現実から目を背けるわけにはいかない。定年が60歳から65歳に引き上げられたものの、企業に勤めて定年を迎え、その後は年金で暮らすという戦後社会の人生のモデルケースが崩れつつあることも間違いない。
 定年のあるサラリーマンになるということじたいが、少し前までは安定した生き方であったけれど、それがとても不安定な生き方になり、それこそ手に職をつけて、死ぬまで働けるような生き方を探る若者が、少しずつ増えていくのだろうと思う。

kazesaeki:

この写真は、風の旅人 復刊第2号の斉藤亮一さんの写真。好きな写真です。大人と子供は、このくらいの距離感が、なんだか好感が持てる。復刊2号、オンラインで販売を始めました。http://www.kazetabi.jp/復刊2号販売/

kazesaeki:

この写真は、風の旅人 復刊第2号の斉藤亮一さんの写真。好きな写真です。大人と子供は、このくらいの距離感が、なんだか好感が持てる。
復刊2号、オンラインで販売を始めました。

http://www.kazetabi.jp/復刊2号販売/

kazesaeki:

(撮影 齋藤亮一)
http://www.kazetabi.jp/%E5%BE%A9%E5%88%8A%EF%BC%92%E5%8F%B7-6%E6%9C%88%EF%BC%91%E6%97%A5%E7%99%BA%E8%A1%8C-%E3%82%AA%E3%83%B3%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%B3%E8%B2%A9%E5%A3%B2/

 テーマは、コドモノクニ〜来し方、行く末〜
  現在の社会では、子供に対して、大人の価値観をすりこんでいくことが教育だと考える傾向があります。もちろん、大人は子供の将来が幸福なものになることを願って、様々なことを子供に伝えようとしています。でもそれは、この短い期間に、現代人が作りあげた世界の基準に従っているだけです。
 人類は、歴史を通して、先祖代々が少しずつ築いてきた世界を、できるだけ損なわないように子供に伝える使命を持っていました。先祖代々が修正しながら積み重ねてきた知恵に、自分の経験が簡単に太刀打ちできないことを自覚していたからです。
 しかし、今はどうでしょう。現代社会に生きる私たちは、いつの間にか、現代は人類の歴史の最高峰に位置していると錯覚しています。新しいものほど良くなっているのだと。
 現代社会で性急に作り上げられた価値観は、非情に脆弱です。10年も経たないうちに廃れてしまい、また新たなものに取って代わられますが、その繰り返しを延々と続けるばかりです。にもかかわらず、大人は、今、自分が信じ込んでいるものを、子供達に押し付けようとしている。
 現代人は、今この瞬間だけに意識をとらわれすぎています。もっと長い目で世界を眺め渡し、時代を超えて変わらないものを見いだし、それを子供達に伝えていく必要があるでしょう。もしかしたら、その必要すらなく、子供達は子供達で、世界の普遍性に基づいて生きているのに、大人が邪魔をしているだけかもしれません。
 復刊第1号のテーマは修羅、そして、復刊第3号に予定しているのは、妣の国〜来し方、行く末〜です。つまり、第2号と第3号は、「コドモ」と「妣」(なきはは)で、対になっています。
 復刊第一号のテーマ、「修羅」からずっと、震災後の日本の在り方を考えるのが、根底を流れるテーマです。一筋縄ではいかないし、単純な言葉で語りきれるものでもない。しかし、ベクトルとして、明確にしておきたいことはあります。あらゆることの判断の基準をどこに置くべきなのか。幸福ってなんなのか。生きるというのはどういうことなのか。価値観の多様性という言い方が流行っていますが、多用なのは形であり、生命の本質は、普遍です。どんな生き物もいつか必ず死ぬし、引き際がとても大事。そして、生命は個体で完結するのではなく、必ずリレーしていくものであり、過酷な条件の中でも生き延びていく知恵は必ず生み出される。
 たった数十年で即席に作り出されたものに焦点をあてる媒体は無数にあるだろうけれど、風の旅人は、そんなものはどうでもよく、本質的で根元的なものの形を浮かび上がらせることにエネルギーを注ぎたい。
 今のように、情報が氾濫している時代において、人が発信している情報に追随するようなことは、他の誰かに任せておけばいいと思う。
 風の旅人の創刊号が世に出たのは、2003年4月1日ですから、ちょうど10年の歳月が経ちました。
 次の10年間も、創刊時とスタンスは、そんなに変わらないと思います。

kazesaeki:

(撮影 齋藤亮一)

http://www.kazetabi.jp/%E5%BE%A9%E5%88%8A%EF%BC%92%E5%8F%B7-6%E6%9C%88%EF%BC%91%E6%97%A5%E7%99%BA%E8%A1%8C-%E3%82%AA%E3%83%B3%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%B3%E8%B2%A9%E5%A3%B2/

 テーマは、コドモノクニ〜来し方、行く末〜

  現在の社会では、子供に対して、大人の価値観をすりこんでいくことが教育だと考える傾向があります。もちろん、大人は子供の将来が幸福なものになることを願って、様々なことを子供に伝えようとしています。でもそれは、この短い期間に、現代人が作りあげた世界の基準に従っているだけです。

 人類は、歴史を通して、先祖代々が少しずつ築いてきた世界を、できるだけ損なわないように子供に伝える使命を持っていました。先祖代々が修正しながら積み重ねてきた知恵に、自分の経験が簡単に太刀打ちできないことを自覚していたからです。

 しかし、今はどうでしょう。現代社会に生きる私たちは、いつの間にか、現代は人類の歴史の最高峰に位置していると錯覚しています。新しいものほど良くなっているのだと。

 現代社会で性急に作り上げられた価値観は、非情に脆弱です。10年も経たないうちに廃れてしまい、また新たなものに取って代わられますが、その繰り返しを延々と続けるばかりです。にもかかわらず、大人は、今、自分が信じ込んでいるものを、子供達に押し付けようとしている。

 現代人は、今この瞬間だけに意識をとらわれすぎています。もっと長い目で世界を眺め渡し、時代を超えて変わらないものを見いだし、それを子供達に伝えていく必要があるでしょう。もしかしたら、その必要すらなく、子供達は子供達で、世界の普遍性に基づいて生きているのに、大人が邪魔をしているだけかもしれません。

 復刊第1号のテーマは修羅、そして、復刊第3号に予定しているのは、妣の国〜来し方、行く末〜です。つまり、第2号と第3号は、「コドモ」と「妣」(なきはは)で、対になっています。

 復刊第一号のテーマ、「修羅」からずっと、震災後の日本の在り方を考えるのが、根底を流れるテーマです。一筋縄ではいかないし、単純な言葉で語りきれるものでもない。しかし、ベクトルとして、明確にしておきたいことはあります。あらゆることの判断の基準をどこに置くべきなのか。幸福ってなんなのか。生きるというのはどういうことなのか。価値観の多様性という言い方が流行っていますが、多用なのは形であり、生命の本質は、普遍です。どんな生き物もいつか必ず死ぬし、引き際がとても大事。そして、生命は個体で完結するのではなく、必ずリレーしていくものであり、過酷な条件の中でも生き延びていく知恵は必ず生み出される。

 たった数十年で即席に作り出されたものに焦点をあてる媒体は無数にあるだろうけれど、風の旅人は、そんなものはどうでもよく、本質的で根元的なものの形を浮かび上がらせることにエネルギーを注ぎたい。

 今のように、情報が氾濫している時代において、人が発信している情報に追随するようなことは、他の誰かに任せておけばいいと思う。

 風の旅人の創刊号が世に出たのは、2003年4月1日ですから、ちょうど10年の歳月が経ちました。

 次の10年間も、創刊時とスタンスは、そんなに変わらないと思います。

0、8秒と衝撃。『シエロ・ドライブ10050』

踊ってばかりの国「SEBULBA」